「ともいき暦」をご覧の皆さまへ

最近、「太陰暦」と「太陰太陽暦」、そして「太陽暦」についてのご質問が、とみに増えてまいりました。
それぞれの暦の、意味と違いが分かりにくいからでしょう。

そこで、できるだけ簡略に要点をお答えいたします。
ご理解いただいた上で「ともいき暦」をご覧いただくと、この暦の価値、面白さ、そして、なぜ<いま、ともいき暦>なのかを、ご理解いただけると信じます。
一日一回、「ともいき暦」と対話をしましょう。

2010年10月 NPO PLANT A TREE PLANT LOVE 理事長 勝田 祥三


歴史は、「太陰暦」から「太陰太陽暦」へ、そして「太陽暦」へ、
そして、いま「ともいき暦」へ。

①「太陰」とは
太陽に対して、月のことを「太陰」といいます。
「太陰暦」とは、「月」の満ち欠けの周期だけでつくった暦のことです。
「陰暦」ともいわれます。

古代の人にとって、月は日数を数えるのに便利な存在でした。
晴れてさえいれば、月はどこからでも見えるので、月の形を見れば新月から何日たったか、その日数がわかります。(新月とは、陰暦で月の第一日、さく朔ともいう)
月は太陽に照らされて、いつも半分だけ輝いています。
それを地球から見ると、光っている部分が増えたり減ったりして、満ち欠けをしているように見えるのです。


②1朔望月(いちさくぼうつき)
月が満ち欠ける周期は約29.5日です。(これを旧暦では1朔望月と呼んでいます)
30日でも31日でもありません。
そこで暦の1カ月を、29日と30日の組み合わせにすると、1日(ついたち)は新月、8日ごろに上弦、15日ごろに満月、23日ごろに下弦というように、日数と月の満ち欠けを合わせることができます。
しかし、これには問題があります。
1朔望月を12倍すると354日となり、1年の長さ365.25日よりも11日少なくなってしまいます。
「太陰暦」を何十年も使い続けていると、この「ズレ」が積み重なって、やがて夏に雪が降るというようなことになってしまいます。

そこで、このような「太陰暦」の欠点を直したのが「太陰太陽暦」なのです。
「太陰暦」の12カ月は1年の長さよりも11日短いため、3年経つと1カ月ほど季節がずれてしまいます。
このため、約3年に1度、1カ月を余分に入れることによって、季節と暦のズレを解消してきました。

このように余分に入れる月を閏月(うるうづき)といい、閏月を入れて「太陰暦」の欠点を直した暦を「太陰太陽暦」というのです。


③さらにズレを調整
しかし、この方法でもまだ3年で約3日のズレが生じます。
このズレをなるべく少なくしたのが、紀元前5世紀、ギリシャの科学者メトンによって発見された「メトンの周期※」で、のち「太陰太陽暦」として中国で広く用いられました。
日本では6世紀の中頃に、中国から伝わったこの「太陰太陽暦」が使われ始めました。

※「メトンの周期」とは
紀元前5世紀にギリシャの科学者メトンが発見した「19年7閏法」のことで、「メトンの周期」と呼ばれています。
正確には1太陽年は365.24219日、1朔望月は29.53059日です。
19年の日数は6939.60日(a)、一方235(1年は12カ月、19年で228カ月それに7カ月を加えれば235カ月になります)朔望月の日数は6939.69(b)ですから、その差(a-b)は、わずかに0.09日です。
つまり19年間に閏月を7回入れれば、220年に1日季節が早くなるだけの暦がつくれます。
この19年7閏法は、中国で広く用いられ、日本には6世紀の半ばころに伝わりました。


④日本での「太陰太陽暦」
日本に伝わったこの「太陰太陽暦」は、6世紀中頃からのち何度となく改められ、江戸時代には貞享、宝暦、寛政、天保と改暦が行われました。
そして、最後の「天保暦」では、西洋天文学を参考にして、最も精緻な日本的「太陰太陽暦」を完成させました。
しかし、明治5年11月9日、明治政府は突如改暦の詔書を発表。
同時に太政官の布告をもって、来る12月3日を明治年1月1日とする「時刻法」への切り替え、つまり「太陽暦」への改暦を布達しました。
従来の1日12辰刻制(しんこくせい)から、1日24時間の定時制に切り替えたのです。
これが、現在私たちの使っている暦、カレンダーです。


⑤「太陽暦」とともに近代化した日本
日本は欧米諸国との交際が始まって以来、暦の違いに不便を感じるようになっていました。
確かに、「太陰太陽暦」に比べて「太陽暦」は単純でわかりやすい。
それに加えて、日本を文明国家らしく見せるひとつのゼスチャーとして、「太陽暦」を採用することになったのでした。
「いずれは太陽暦に切り替えねばなるまい」という意見は、明治政府・欧米使節団の実感であったろうと思われます。


⑥21世紀、新たに暦の問題が浮上
さて、「太陽暦」を基本とする経済活動・社会活動は、21世紀のいま何の問題もないのでしょうか。
明るい未来は約束できるのでしょうか。
病んでいる地球が「ノー」を訴えています。
いま、地球と人類社会が重大な問題に直面しているのはご存知の通りです。
いうまでもなく、地球の自然環境危機という問題です。
気象変動と温暖化、CO2の排出、資源の枯渇、そしてその奪い合い。
道徳観のないマネーの、勝手気ままなふるまい。
この10月名古屋で開かれた、国連COP10会議でもその実体が明らかになっています。


⑦地球が病んでいる
科学・技術の急速な発展は、人間生活の都市化をすすめ、そこから複雑にからみあった弊害を生みだしています。
バングラディシュの大洪水も、メキシコ湾海底油田から噴出した原油事故も、南米チリの銅鉱山落盤事故も、その現れでしょう。
人間の強欲と、地球の自然環境破壊がもたらした結果ではないでしょうか。
直線的な効率化と利益追求、それは太陽暦と共に生きてきた西欧文明の帰結のようにも思われます。
自然を、征服すべきものという傲慢不徳な産業・経済主義がもたらしてきたからです。


⑧希望は「ともいき」の中に
人間が、幸せを実感できる社会は可能なのでしょうか。
私は、自然の秩序を謙虚に正しく知ることによって可能だと考えます。
まず、「人間は自然の一部である」との自覚。
生命発生からつづく歴史(祖先)を重んじ、生命秩序である自然に学び、地域社会と共に生きるという価値観をもてば、新しい社会秩序が生まれるはずです。
その指針のために、私は「ともいき暦」をつくりました。
季節が示す自然の表情を五感で感じとり、その恵みに感謝して働く。
それには、太陽暦に二十四節気を組み込んだ「ともいき暦」が欠かせないと考えたのです。


⑨なにと、だれと「ともいき」するのか
『祖先と共に、人と共に、自然と共に、地域と共に、結びあい、支えあい、助け合い、譲り合って生きる』
これが「ともいき」。
これからの社会の指針となる価値観、生活感です。
そのための五感と知恵のよりどころが「ともいき暦」なのです。
一日一度、「ともいき暦」と対話しましょう。