理事長 勝田祥三からのメッセージ


新しい年、2011年を迎えて。
“新しい日本の国、新しい日本人の心”について考える。

いま、人びとは、恐怖と不安、そして荒んだ、混沌とした時代に直面し、「これでいいのだろうか。」「人間の幸せとは、一体全体なんだろう。」と自問自答し、変えなければならないこの時代を真剣に模索し始めました。
このメッセージは、2011年の“ともいきの日”に書いた文章です。


●PLANT A TREEは“人と人、人と自然のコミュニケーション”を意図し、PLANT LOVEは“人への、自然への思いやり、いたわり、やさしさ”を意図します。
つまりNPO PTPLは“人と人、人と自然のコミュニケーション”の豊かな社会、“人への、自然への思いやり、いたわり、やさしさ”の溢れる社会づくり、私たちが提唱する「ともいき社会」づくりが目標です。


●「ともいき」とは、“祖先と共に、人と共に、自然と共に、地域と共に、結び合い、助け合い、支え合い、譲り合って生きる”という新しい生活観であり、価値観です。
人びとがこの生活観、価値観をもって毎日生活することにより「ともいき社会」が次第に実現されていきます。
そしてその道しるべとなるのが、直進する時間の価値観の現行カレンダーと自然のリズムを尊重した回帰循環する時間の価値観である旧暦を合わせた新しい暦、「ともいき暦」です。


●経済・科学・技術の進歩、発展、成長は、それ自体が目的ではなく、「ともいき社会」づくりのための手段であり、「ともいき社会」づくりに同調し役立つべきです。
“人間・自然・環境・地域・地球・世界の平和”について考え、よりよい「ともいき社会」づくりのための経済・科学・技術であって欲しいものです。
危うい時代に直面しているにもかかわらず、私たち人類は、まだ本当の危機に気づいていないのではないでしょうか。
いまだに経済の成長拡大、グローバル化、そして科学・技術の進歩発展という価値観を信じ込み疑う様子もありません。
時代、社会、人間は時と共に進歩してゆくはずだし、進歩しなければならない、歴史は前へ前へと加速して進み、後戻りすることなく、まっすぐに進み発展、成長してゆく。
私たちの時間は一般的にそのような時間として私たちを駆り立てています。
経済と科学・技術の進歩、発展、成長があるから“自分の幸せ”があると妄信しているのです。
だからこそ、直進する速度をさらに高めながら経済活動に集中しているのでしょう。
しかし、このような価値観に対して、いま一種の疲労感徒労感を持ち始めた人々が現れてきました。
私たちが失いつつある、もうひとつの時間の価値観を感じ始めた人びとです。
その時間とは巡りゆき巡り帰る“不易”の時間、つまり自然のリズムです。
「ともいき社会」づくりあっての経済・科学・技術の進歩、発展、成長なのです。
これが私たちNPO PTPLが提唱する“ともいきの社会”づくりであり、21世紀に生きる知恵であり希望なのです。


●いま、世の中は、あらゆる面で劣化の現象が同時進行的に展開しています。
経済の劣化、政治の劣化、社会の劣化、そして人間の精神的劣化です。
その変化が引き起こす諸問題にわれわれは振り回されながら、さらに劣化がより複雑になって進行する社会全体の中で、不安と恐怖を抱いて毎日生活しています。
現代人の多くは、いま生きる拠りどころを見失い、新たな頼るべき何かを求めています。
現代人の宗教的心情、精神文化は希薄になっています。
私は、自らを超えた大いなる存在、聖なるもの、光り輝くものを再び思い起こすことの大切さ、重要さを痛感しています。
私たちの祖先は、“海の国・島の国・川の国・森の国”であり、時には厳しく恐ろしく、そしてとても優しい、豊かな自然がいっぱいの日本の風土に住んでいました。
“人と人、人と自然のコミュニケーション”の大切さと“敬神崇祖”と“敬老”の思想を大切にする生活習慣を感得していたのです。
人びとは自然のうちに自分たち人間を超える大いなる存在、聖なるもの、光り輝くものを感じつつ生活していました。
遥かなる時を経た山河や自然は私たちの“心のふるさと”です。
人びとは自然とのかかわりを通して暮らしを営み、文化を育んできました。
そして、仏教の伝来。神道と祖先供養に重きを置く仏教が出会い、時間をかけて和合、習合し、われわれの祖先は自然のうちに神と仏を感じ、敬い、信じるようになりました。神仏の懐に抱かれているようなぬくもりを感じていたのでしょう。
日本人の心の中に神仏が宿ったのです。
これは、神と仏が出会ってできあがった全く新しい日本的信仰です。
そして祖先は日々の生活の隅々にまで、神と仏のいる生活をするようになったのです。


日本には“山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつゆうぶっしょう)”あるいは「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の思想があります。
これは神仏和合、習合による日本的信仰から生まれた思想であると私は考えています。
昔は、神社の中に寺があり、寺の中に神社があるということがごく普通のことでした。
また、伊勢詣り、善光寺詣り、西国観音霊場三十三ヶ所巡り、四国霊場八十八ヶ所巡りなどの霊場の往き帰りの途中にある神社や寺にもお詣りすることがごく普通のことでした。
一神教の巡礼とは全く異なる多神教の巡礼です。
祖先の人びとは、自然のうちに神と仏を感じ、人間を超えた大いなるもの聖なるものがあると感じ畏怖畏敬の念を抱き、それとのコミュニケーションの中に人間はいるという、ひとつの安心感、やすらぎに包まれて生きていたのでしょう。
日本人は自然と共に、神仏と共に生きてきました、日本人と自然と神仏は何百年何千年と続いた縁なのです。
日本人は自然と共に生きるという「ともいき」の精神文化と宗教的心情を創り育ててきたのです。
○経済中心主義、効率一辺倒、利益追求主義、競争社会・・・・。
○頼れる何かを求め始めている現代人・・・・。
○“人間の幸せとは何か”と考え始めている現代人・・・・。
祖先がつくり、われわれが忘れていた精神文化を取り戻すことが、いまこそ必要です。
“豊かな自然と神と仏”が日本人の精神的基盤なのですから。


●歴史を振り返ってみると、日本人は全く異質なもの、対立するものを共存させ、調和させて日本独特の新しいものを創りあげてきました。
この“日本化”するという独創性こそ、日本人の創造力の源です。
忘れていたこの特性を生かす時が来ています。
“和魂漢才”という言葉があります。
中国伝来の文化文明を活用する重要性を説いた言葉です。
前提として和魂をしっかり持つことが大切で、それなしで漢心に染まってしまうと“中国かぶれ”になってしまうわけです。


和魂の精神は特に十七条憲法以来、深く受け継がれ、江戸時代までの“和魂漢才”、明治維新からの“和魂洋才”に受け継がれてきました。
第二次大戦終了からは“米才”に舵取りされ、大切な“和魂”が次第に見失われてしまいました。
つまり祖先が培ってきた“日本化”現象を見失ってしまったのです。
日本の、日本人の核心は何かということを見失っているのが現在の日本です。
“和魂漢才” “和魂洋才” “和魂米才”と進んで来ましたが、これからの“日本化”現象は、確固たる和魂を持って“世界の文化文明”を広く深くとり入れ、それらを熟成して“日本化”する創造力が必要な時代が来ています。
“和魂”をしっかりともった“和魂世界才”の時代です。
日本人が失った一番大切なものは眼に見えない、私たちの祖先が培ってきた“心” “豊かな自然と神と仏” “和の精神”なのではないでしょうか。
私はこの小さな、“海の国・島の国・川の国・森の国”日本、自然に恵まれた稀有の国、日本に生まれ、日本を愛していると同時に、いまの日本を深く憂いています。
「ともいき」の生活観、価値観を持ち、“自然と神と仏と共に”という宗教的心情を持ち、“和魂世界才”という精神文化を持ち、日本を軸足にしてグローバルに活動活躍する日本人と日本に、私は大いなる期待を持っています。
日本への誇り、日本人としての誇りを持ち、豊かな自然を理解し、われわれの物事の捉え方、感じ方をもっと素直に伸ばしていけば、必ず日本人は日本文化、日本文明の本質に関わる「再発見」に成功し、世界に認められる国への旅立ちができると信じています。


旧暦の元日を「ともいきの日」として、これからの新しい日本の国、日本人の心を考え、行動する日と考えます。
如何でしょうか。

同志社大学文学部名誉教授・文学博士廣川勝美先生のご著書『神と仏の風景「こころの道」』(集英社新書)に啓発され、この一文をしたためました。

NPO PLANT A TREE PLANT LOVE 理事長 勝田 祥三