年中行事・記念日・祭り 解説文


太陽暦採用記念日(たいようれきさいようきねんび) 2021年 11月9日(月)

1872年(明治5年)11月9日、明治政府は太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦(新暦)へと改暦を発表した。
これによって明治5年12月3日が太陽暦の明治6年1月1日となった。(この結果、この年は12月2日が大晦日になりました。)

グレゴリオ暦制定記念日太陽暦施行の日
初めて日本人の手で編纂された太陰太陽暦の大和暦「貞享暦」
の解説もご覧下さい。


秋の全国火災予防運動(あきのぜんこくかさいよぼううんどう)
2021年 11月9日(月)~11月15日(月)

消防庁の主催で、1950年(昭和25年)から展開されている火災予防のための運動で、年に春(3月1日(土)~3月7日)と秋の2回行われています。
空気が乾燥している春先は季節風が強いなど気象上の悪条件が重なって規模の大きい火災が起こりがちで、注意を喚起するために設けられました。

春の全国火災予防運動の解説もご覧下さい。


酉の市 一の酉(とりのいち いちのとり)
日付変更

旧暦の11月、十二支の酉の日(年により2~3回あり、今年はの酉まで)を語呂合わせで、トリコム、トリイレルという農事語と似ているところから、農耕生活の中で縁起の良い日を考え、この日に大鳥神社(鷲神社と書く場合もある)で祭礼が行われました。
その門前には、農具や里芋等を売る市が立てあれ、これを酉の市と呼びました。
江戸時代、江戸下町のまだ農村が残っていた地方で始まったものだが、山の手、目黒あたりの大鳥神社でもとても盛んでした。
始めは農具の内容も、鋤、鍬、鎌、斧、臼、杵、箒、熊手など雑多であったが、箒と熊手が物をトリコム、ハキコムという縁起に結びつくものだったことと、軽く持ち歩きに便利だったことからこれを主に売り出し、やがては熊手の小型のものを作り、縁起物をその内面に取り付けて売るようになりました。
もともと酉の市は、農村のひなびた農具市から始まったものですが、下町に人家が増え人々の参詣が多くなると俄然、賑やかさを増し、売り子も熊手が売れると祝いの手締めを景気よくやって市場の気分を盛り上げました。
これにつられていっそう商品が売れ、酉の市は年末の風物詩となったと同時にレクリエーションの場ともなっていったのでした。
元来、熊手に付けられる縁起物は、米俵、箕、恵比寿、大黒の面の程度だったのが、幕末ごろから千両箱、大判、小判、七福神から米倉、宝船のミニチュアまで種々のものが登場し、「福をカキコム」「福をトリコム」と言う意味合いが強くなっていき、江戸の下町に農家はまったくなくなったが酉の市だけは相変わらず、年々盛んです。
三の酉のある年には、江戸に火事が多いという俗信があります。(これは酉(鶏)のトサカの赤から連想されたものだと言われていますが…)
現在、台東区浅草の鷲神社、新宿区の花園神社が開運と商売繁盛の神として、特に広く信仰を集めています。

酉の市
日付変更
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