年中行事・記念日・祭り 解説文


母の日(ははのひ)
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5月の第2日曜日を母の日としています。
日ごろの母親の苦労をいたわり、母の恩に感謝する日です。
1907年(明治40年)5月9日の日曜日、米国・ウェストバージニア州のメソジスト教会で、亡くなったミス・ジャービスという女性の追悼式が行われました。
教会には白いカーネーションがいっぱいに飾られ、参列者たちはジャービスの娘で、当時43歳だったアンナ・ジャービスから「お母さまに感謝してください」と白いカーネーションが一本一本配られました。
ミス・ジャービスは協会の日曜学校の先生をしていました。
子どもたちに神の教えを説くとき、特にモーゼの十戒の中の「汝の父母を敬え」を取り上げ、「母の恩にどう報いるのかを考えなさい」と強調していました。
それだけにアンナも母の追悼式で、何か母親への感謝を型で表すことはできないかと考え、カーネーションを贈ることを思いついたのだといわれています。
この話を聞いたのが、米国初の百貨店経営者として有名なジョン・ワナメーカーだった。
YMCA運動にも尽力したワナメーカーは翌1908年、同じ5月の第2日曜日に自らのデパートで母を讃える記念行事を行い、アンナ・ジャービスのことをPRしました。一方、アンナは政界の有力者たちに「母に感謝する日を設けるべきだ」と提案する手紙を出し続けました。
これがついに時の米国大統領ウッドロー・ウィルソンを動かしました。
牧師の子供だったウィルソンは1914年(大正3年)5月の第2日曜日を「母の日」とすることを提案、連邦議会の議決により祝日として決まりました。
ウィルソン大統領はこう宣言したといいます。
「わが国の母に捧げる愛と敬意の印として、この日は国旗を掲揚しよう。」
以来、「母の日」は世界中に広がり、母を亡くした人は白いカーネーション、健在な人は赤いカーネーションを胸にさし、花束を贈って感謝を表す風習が定着していきました。

父の日の解説もご覧下さい。


大相撲:五月場所[初場所](おおずもう:ごがつばしょ[なつばしょ])
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きりっと、まわしを締めた2人の裸の力士が、土俵で勝負する伝統の力技(ちからわざ)。
奈良時代から宮廷で行われ、いま一年6場所行われる日本の国技です。
行司は美しい和の装束、軍扇を用いて勝負を裁きます。
横綱の土俵入りは五穀 豊穣を願い、四股で地の邪気を祓う神事です。
最近、外国人力士が急増、エジプト人力士も現れ人気を呼んでいます。
儀式床しく礼を尊ぶ「相撲道」に感化され、日本国籍をとる力士も増加。
相撲は、ますますグローバルな競技に育って行くでしょう。

大相撲 本場所
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